ハウル、今何してるの?前みたいに元気に走り回ってる?
うちに来た初日の夜、パパはハウちゃん可愛すぎて夜泣きに耐えきれず一緒に寝てるし。あんなに小さかったのにいつの間にか、すっごいおっきくなっちゃって!ハウルの散歩大変だったんだよ☆
まりこはハウルに引きずられて泣きながら帰ってくるし、アタシはとびつかれてアゴから出血、流血事件!!
そして時には脱走…。 本当に脱走したときはどぉしようかと思ったよ。
そんなハウルでも毎日みんなのお見送りとお出迎えは欠かさなかったね。遊んで夜中に帰ってきてもいっつもアタシの相手してくれてありがとう。毎日ご苦労様でした☆
実はね、今でも帰ったときとかハウルのお家見ちゃうんだよ。でもハウルは今でもちゃんとおうちに居そうな気がするの!
だからね、これからもお見送りとお出迎えよろしくね。
いままで ありがとう。 そしてこれからも よろしくね。
大好きなモモへ。11月23日生まれの男の子。
1月に初めてモモがウチの家族になった日、すっごい小さな小さな箱に入って、ちっちゃな足してピョコピョコとんでたっけ。元気いっぱいで、面白くないと膨れるし、コードは紙切られるし、も〜、本当に手のかかるウサギさんでした。友達みんなに頭なでてもらって、可愛がられてたんだよ。モモと過ごした約2年間は本当に宝物だよ。
モモがいるから頑張れた
モモがいるから寂しくなくて
モモがいるから笑顔になれた
生まれ変わってもまたウチにきてね。またいっぱい遊ぼうね。
ずっとずっと大好きだよ!
モモに会えて本当に幸せでした。ありがとう。
我が家のゴールは、ゴールデンレトリーバーのオスです。平成6年5月20日生まれです。縁あってその年の7月に上山のブリーダーさんから、我が家の家族の一員になりました。ゴールという名前は娘が名付け親で、鈴木家にゴールインしたのだからゴールと名付けて欲しいとの願いで決定しました。
我が家では、仕事で日中留守になる時以外は、殆どゴールが中心の生活になりました。すくすくと成長し、5ヶ月くらいの時に面白山高原にコスモスを鑑賞に行った写真を見ると、もう成犬のような姿です。車に一緒に乗るのが大好きなゴールでした。休みの日はいつも一緒に出かけて、川で泳いだり、野原で遊んでいました。一緒に旅行にもよく出かけました。孫たちが山形に来た時には公園で一緒に遊ぶのが大好きでした。
私には孫が4人いますが、それぞれ1歳のころ大きいゴールに触るのが怖くて、少しずつ近寄って、スキンシップをしている写真がたくさんあります。孫4人の前では何時も真ん中に写っているのがゴールでした。いつも静かに、嬉しそうに孫たちを見ていました。また、近くの保育園の子供たちが公園に散歩に来た時は、子供たちに遊ばせてあげました。小さな子どもたちが大きなゴールにやっと初めて触れた時の感動の声はすごいものでした。非常に子供たちを大好きな優しいゴールでした。
ゴールは夏以外の季節が大好きでした。春と秋は公園でのんびりと日光浴がお気に入りで、冬は雪の中を走り回るのが得意でした。夏は暑いので涼しい所で休んでいる日が多かったですが、夏の朝の散歩が終わると、玄関で畑からとったミニトマトを食べるのがいつの頃からか日課になり、美味しそうに食べていました。夜寝る時もトマトを食べ終えるとすぐに寝ていました。今年は猛暑にもかかわらず、ゴールの大好きだったミニトマトが沢山なりましたが、食べてくれるゴールがいないのが寂しい夏でした。ゴールは大好きなトマトを沢山食べて長生きしたと思います。
ゴールとのお別れがいつか来ることを覚悟はしていましたが、昨年の15歳の夏以降、急に体力が衰えてきました。一生懸命に生き抜く姿をみせ、夏を乗り越えました。しかし、安心したのか、10月に入り、自分で動けなくなり、昨年の10月9日未明に穏やかに旅立ちました。
ゴールとの最後のお別れの時、東の空にきれいな虹がかかっていました。ゴールも虹の橋を渡って、新しいお友達が待っている所に無事出発できました。
犬の行動には不思議がいっぱいあります。遠い見知らぬ街から自分の家まで帰ってくる帰家本能は科学的には解明されていないそうですが、不思議な行動の根底には、飼い主と犬との深い愛情の絆があることは間違いないことです。家族の一員として愛し続けたペットと別れるのは非常につらいものがありますが、私たちの家族の大事なペットたちが西部の丘陵地にある当メモリアルパークを安息の地として選んだことに縁を感じます。
私たち夫婦は、毎日ゴールの写真の前に、水と大好きなトマトを供えてお参りし、思い出を大切にしています。
ポンが星になってから6ヶ月になりました。未だにポンがいないなんて信じられません。だって14年間もいっしょだったもんね。
ポンは私に嫌なことがあり、散歩しながら愚痴などを言っていると、私の顔を見て黙って話を聞いてくれました。私が病気になってひと月入院した時には病院まで来てくれて、私の姿を見たらすぐに飛んで来てくれとても嬉しかった。だって誰よりもポンに会いたかったもの!ポンが帰る時に私の顔を見て寂しそうな目をされた時は涙が止まらなかった。
それから去年の春、ポンが病気になった時には、私が代わってやりたいと思ったくらい、つらそうだったね。それでもポンも頑張って病気を治したのに、今年の春、桜の花が咲く頃に、私たちに迷惑をかけないで、私の胸で眠るように逝ってしまいました。私は今でも毎日写真を見てポンと話をしています。この手紙を書いている時もポンのことがいろいろ思い出されて涙が止まりませんでした。
ポンちゃん、いろいろありがとう。
虹の橋で会いましょうね。
ジェフにこんなことを書くことになるなんて思ってもいなかったよ。よく考えたらジェフはまだ6才だったんだね。
確か十月十三日が誕生日だったから、誕生日がきて7才になれたんだ。家に来たときは1ヶ月くらいしか経っていなくて、怯えたような顔をしてたよ。
年が明けて5月の連休のころには、急に大きくなってみんながびっくりしてた。この頃はまだ家の周りで遊んでいたからリードしなくても良かったけど、少ししたら遠くのほうまで遊びに行くようになったから、おとうやじいやおかあとの散歩だけになって、お前はもっともっと遊びたかったんだよね。そうしてあげられなくてごめんよ。
3年くらい前リードつけたまま居なくなり、一晩中帰ってこなくてすごく心配したよ。次の日に保健所・警察・市役所に電話してダルメシアンが保護されていないか聞いたら、市役所に電話してくれた人がいて、田んぼの中にいるって聞いて、一生懸命探したよ。そしたらリードが杭に絡まって動けなくなっているお前を見つけて、ようやく家に帰ってきた。うれしかったよ、元気なお前がいてくれて。でも今はいないんだね・・・
その頃までは、お前はやんちゃで怒ったり叩いたりしたけど、その度に「悪いことをしたな」ってすまなそうな顔してたよね。だけど絶対におとうに向かってきたり、噛みつこうとしたことなんかなかった。お前の顎はおとうの腕なんか噛み砕く力があるのにね。何も言わないで我慢してたんだね、偉いよ。
最近は大人になってやんちゃなこともしなくなって、おとうの気持ちをわかってくれるようになってたのに、ジェフの気持ちもわかるようになってたような気がしたのに・・・これからだったのに、もっともっと仲良く楽しく一緒に過ごせたのに。この世で一番大事な友達・家族・子どもを亡くしてしまったよ。そして今まで生きてきてこんなに悲しいことは初めてだよ。
いつもいつもうちに帰るとジェフが待っててくれたから、家に帰ってジェフを撫でてやるのが本当に好きだったのにつらいよ。ポワンとした顔で昼寝してるお前を見るとおとうも安心できたのに、何でそんなに早く逝ってしまったんだ。みんなジェフが大好きだったのに・・・。
おとうがお前の側に行くまで、家族を見守っててくれよな。おとうが逝ったら必ず迎えに来てくれよな。そしたらずぅーっと離れないで一緒にいような。ジェフ、ほんとにほんとにありがとう。ジェフに会えるときを楽しみに生きていくよ。
ラッキーが旅立ってからもう8ヶ月がたちましたね。
平成元年十月生まれ、十一月の初めに私の家族のところに来てくれました。片手に乗るくらいの小さな男の子。幸福になるよう「ラッキー」と名前をつけました。
あっという間の二十年・・・
田んぼや畑、買い物、遊びに行くときはいつも一緒。車に乗るのが大好きだったラッキー。
いろんな思い出がたくさんある中で、一番心に残るのは、お父さんがお酒を呑み過ぎて帰ってくると、朝、靴下の指先にたくさんの穴をあけて困らせたこと。きっと、体のことを心配してくれていただんね。そんな風にいつも心配していてくれたから、お父さんもお母さんも、体に気をつけて、おいしいお米を作り、きれいな花を咲かせてラッキーにお供えをしているからね。
最後まで頑張ったラッキー。
一度もオムツもしないで、自分の足でふらつきながらも歩いて、強かったね。最後はお母さんの腕枕をして眠るように静かに息を引き取ったラッキー。近所の人・周りの皆さんに愛されたラッキー。家族みんなラッキーの事忘れないよ。
天国でわがまま言わないでみんなと仲良くしてね。大好きだよ、ラッキー。